紙一重hypocrite

しあわせをひろってつなげていきていく

just way you are

 

 

結婚について。

当方アラサー女なので、結婚について考えることが圧倒的に増えた。

 

とはいえ、地元の友達はほぼ結婚していないし、

結婚や子育てにピンときているわけでもない。願望があるわけでもない。

 

ひとまず27歳の現在の結婚感の備忘録。

 

結婚願望も子供がほしいとも思っていないが、

将来ともにする伴侶がいるのはいいなぁと思う。

それは今は親や友人がいても将来ずっとその関係が続くかわからないし

金銭面(極端に言えば結婚していればリスクは二分の一になる可能性が高い)などの保証もある。

金銭面というのは養ってほしいということではなく、

単純に何かあったとき助けてもらえる可能性が高い、ということ。

 

ただそういう意味では自分も相手に何かあったときに助けなくてはいけない。

 

わたしは将来できるだけ働きたいし、お金を稼ぎたい。

そうすると他人のために…という考えが思い浮かばない。

 

将来できるだけ働きたいというのは夢があるからと、

もし結婚相手が億万長者だったとしても、それは自分の財産ではないし

「自分の財産を築きたい」ということ、

また仮に結婚して子供を産んで社会生活をドロップ・アウトすると

その後の復帰が極めてこんなんだと思うからだ。

 

お金があれば選択肢が増えるのは当然だし、

基本的に昔の離婚率が低かったのは「離婚しなかった」ではなく

「離婚できなかった」が圧倒的理由だと思う。

 

結局今のわたしは仕事も新しいことを始めたばかりで自分に余裕がない。

 

だから他人に気を使っている余裕が無いのだ。

 

結婚生活も子育ても好奇心としては興味がある。

でも、今は別。

 

周りで結婚したい=安定したいという考えを持つ子も多いが

女性も仕事をすることがい多くなりアラサーくらいになれば

仕事も脂が乗ってきている人が多いだろう。

そこで昔ほど結婚するのが当たり前、という考えは

少しずつ破綻しているように感じる。

 

でも29歳のクリスマスや、タラレバ娘などいつの時代も

アラサーの結婚・出産への焦りやプレッシャーは存在する。

 

もし、この焦りやプレッシャーがなくなったらどうだろう?

少子化の一途をたどるかもしれないが、

「自分の好きなタイミングで好きな人と好きな形で一緒に入られたら」

どんなに幸せだろう?

 

私の会社には様々な人がいて、

結婚して子供がいる人

結婚して子供はいない人

未婚の人

事実婚のような生活をしている人

 

まさに多様性にあふれている。

前々から好きな形で〜と思っていたが、その考えにますます拍車がかかった。

 

私の親は結婚や孫の話などはしないのでプレッシャーはないが、

でも周りの子達が結婚しだしたら焦ると思う。

 

頭では好きな形で〜と思っていても。

 

でも育った環境が違う他人同士が生活をすることはそんなに簡単じゃないと思う。

 

いつか自分が振られるかもしれない可能性

相手に歩み寄ること

そして何かあっても向き合い続けること

 

これを「お互い」ができなくては死ぬまで一緒にいるのは無理なのではないか。

 

とはいえ私は結婚したことがないし、あくまで憶測だけど

でも、それを頭の片隅に入れて結婚生活を送ることと

何も考えず妄信的に結婚することではきっとぜんぜん違うのではないかと思う。

 

 

 

 

 

式日

 

 

先週、友人の結婚パーティーの幹事をした。

パーティは大成功に終わりそれはいい一日だったのだが、

備忘録というか、今の自分の考え、という意味で

自分の結婚感を記しておこうと思う。

 

結婚。

それは博打。

 

悪い意味ではなく、正直10年付き合っていようが

生活となると何があるかわからない。

どんなにリスクを覗いたつもりでも、予想もしないことや

腹が立つ事がたくさんあるだろう。

 

以前友人の祖母が改宗するという話を聞いた。

理由を聞くと「死んでまで夫と同じ墓に入りたくないから」とのこと。

他人事ながらに笑ってしまったが、その時

「あぁ、夫婦はやはりどこまで行っても他人なのだなぁ」

と思った。

 

一方で、GINZAに掲載されている「岡村靖幸の結婚への道」

で対談していた田原総一朗のコメントも印象的だ。

 

「結婚は思い切り」

 

そう。

上記したとおりどんなにリスクヘッジをしても、

理想の相手でもだめなときはだめだし、

うまくいくときは行くだろう。

 

とはいえ、やはりそうかんたんに割り切れないものではある。

 

結婚=生活 ということは紛れもない事実で、

おままごとや同棲とは訳が違う。

 

だからこそつまるところかの有名な歌のように、

育ってきた環境も違うし、好き嫌いは否めない。

だから頑張ってみる、やれるだけ頑張ってみる。

 

ということなのだろうなぁと思う。

 

 

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言葉の果てに雨が降る

 

 

 

備忘録。

 

これからどうなるのだろう。

 

昔は漠然と、高校に進学して、

大学に進学して、就職して、

そんな風に未来が見えていた

 

でも今は、見えない。

 

別に結婚もしたくない、子供にも興味が無い

生きたくもない。

 

ただ、家族と、優しい毎日が永遠に流れていく気がする

 

いつから生きている気がしないんだろう?

 

 

運命とかそんな抽象的な言葉使うきもないけれど

精一杯抗いたい

 

でも疲れるなぁ

 

これから、

 

どうなるのだろう

 

大して興味が有るわけでもないけれど

 

 

 

Boo-Wee Dance

 

 

 

久々のブログ。

 

久々の記事はマックブックを買った話です。

かくかくしかじかで全く買う気なかったっていうか

そもそもWindows一筋だったので、

人生はやはり何があるかわからないものですね。

 

仕事に使うためにマックにしたんだけど、

そうじゃない人は何でマックを選ぶのか未だにわかりません。

 

スマホはともかく、パソコンはオフィスの相互性とか

Windowsの方が良くないですか?

 

まぁそんなことはさておき。

久々にワクワクしています。

 

新しい人生のスタートラインに。

まぁどうなるかわかりませんが。

 

悩みは尽きないし、自分に失望することも多々あるけれど、

でも唯一行動力があるのが救いかも、しれない。

 

動けば変わるのかも、しれない。

 

明日以降ゆっくり記事書けるといいな。

 

おやすみなさい。

 

 

Welcome Rain

 

 

2015年も残りあとわずか。

たまには1年を振り返ろうかと思います。

 

まず転職をした。

前職は音楽関係の仕事をしていたのだけれど、

とにかく薄給で、自分の将来も正直不安があったので転職することにした。

もともと就職活動していた時から某CD販売員をしていたこともあり

音楽に携われる仕事を希望していた。

ただ大手以外そもそも新卒を募集しているところがなく、

中途募集しているところにメールをして履歴書だけでも見てくれ!

と売り込んだりもしていた。

 

でもまぁそんなにうまくいかず、結局まったく関係のない仕事に就いた。

しかしその会社がブラックというか気が狂った会社で、

ちょうど半年ごろ経ったあたりにたまたま音楽事務所の社長と話す機会があり

その事務所に逃げるように転職をした。

 

結果的に音楽事務所での仕事は楽しかったし、やりがいはあったが

やはりそれだけでは食っていけないし、なにより将来が不安だった。

 

自分がどんなに頑張っていても

履歴書の職歴で判断する人はたくさんいるし、

「自分は自分のやりたいことをやっているからいいんだ!」

と振り切ることもできなかった。

 

だから音楽事務所で働けたことはうれしかったが、

1~2年で展望を見据えて続けるかやめるか判断するつもりでいた。

 

結果転職することにしたわけだが、

結果的にはとても満足している。

 

運よく大手の安定した企業に入ることができ、

なんていうか大きいからこその基盤がしっかりしているところや

ちゃんと決まった額が一定で入ってくる、そんな当たり前のこともうれしかった。

なにより仕事が忙しく、自分なりに考えて動いて

すごく充実しているし学ぶことが本当にたくさんある。

 

たぶんそこそこの給与をもらって、ストレスなくのうのうと働くことは

不可能ではないし、そういう人もいるんだろうけれど、

自分は忙しく時間に追われる中で優先順位をつけで仕事を回したり、

周りの人のやり方を盗んで効率アップを図ったり、

成長してきてまた新しい課題が見えてきたり、

そういうほうが好きだし、

仕事をする、という基本的なスキルを1から学ぶことができている気がする。

 

とにかく転職したのは7月で、まだ半年経っていないが

すでに1年くらいやっているような充実があるのは幸せだと思う。

 

自分はいい大学を出ているわけでも、

秀でた能力があるわけでもない。

でも多くの人がなんとなく大学に進学して、なんとなく就職して

なんとなく家庭を持っていく中で、

リスクを負ってでも好きなことに飛び込んだこと

またそのおかげで危機感を持って動くことができたことに

誇りというか、自分のよさになったと思っている。

 

今現在の日本は夢を追えとかいう癖に

夢を追う人間に冷たすぎる。

 

それでも、前記したように

なんとなくみんなと同じ生き方(それが悪いとは言っていない)

をしたひとより、自分の生き方をした人を

魅力的と思ってくれる人もいる。

父は私に

「普通の会社で働くのは無理、収まらない」

とよく言っていた。

自分自身ではそんなことはなく、

うれしいような嬉しくないような複雑な気持ちだったが

まぁはみだそうがはみださまいが、そこに自分の意思があるなら

突き進め、と思う。

 

たぶん本気になればどうにでも転ぶので。

自分の人生は自分で作りたい、と思った。

 

とにかくそんな感じで前半は転職・将来への不安って感じで

後半は就職・多忙、そんな1年だった。

 

どうも自分は今年大殺界だったようなのだけれど

まったくそんなことはなくむしろ充実していたので

占いはしょせん占いです。

大殺界のみなさん、安心してください。

 

来年は来年で新しい課題がたくさん見えてくるので

そこをこなしつつ、

私生活でもいろいろ挑戦したい。

 

今年も皆様お疲れ様でした。

来年もいい年になりますよう。

 

 

 

 

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メロウ




周知の事実なのかもしれないけれど、

最近よく思うのは


現実主義の人は現実主義に

ならざるを得なかった


のではないかということ。

自分で言うのもなんだけど、

自分自身現実主義だとは思う。


それを掘り返すと

現実に向き合って、対峙し、考えることが

あったからだな、と。

そして理想とは違う、現実を知ったからだと


極論だけれど

現実主義者はなにか

辛い経験があるように感じる


夢見がちでは生きて来れないなにかがあったと。


でもそれは何も悲しいことじゃない


現実を生きているのに

現実を見ないのは馬鹿過ぎる。


辛い経験こそ人を成長させる。

ある人が


『楽しかった出来事は”楽しい”という

感情しか残らない。詳細は忘れてしまう。

でも辛い記憶はいつまでも覚えている。

そして楽しい記憶大概誰かと

共有しているけれど、

辛い記憶は自分一人だけのもの』


と言っていた。

前者が悪いわけではない。

楽しい記憶や感情が起動しなければ

それはアンドロイドのようになる。


辛い記憶は自分一人だけのもの、

というのが重要で、

自分一人だから抱え込み、試行錯誤し、

思慮を巡らせる。

そこに意味がある。


それが所謂人の厚みや、濃さを産む。


人それぞれ悩みがある

比べるものじゃない、

なんて言うけれど


悩みの規模は当然存在し

一般的にみて小さな悩みと

毎晩声を押し殺してなくような悩みを

一緒にするのは失礼であり、

偽善だと思う。


世の中みんな悩みがあるとはいえ、

本当に大したことない悩みだったり

大した辛い経験じゃない人がいる。


そういう人は本当に勿体無いと、

そんなことを考えている。




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kite

ご飯を食べるなら五反田か田町なのだが、

買い物といったらやはり渋谷、原宿、

表参道あたりにいく。

一番好きなのはキャットストリートで、

あの通りの雰囲気が昔から好きだ。


一方渋谷は休日にぶらぶら買い物に行く、

という感じでは無く

必要なものを買いに行く、といった感じで

ファッションのメッカではあるものの

街自身が醸し出す雰囲気は

がさつで、ごちゃごちゃで雑多なイメージ。

人の多さは原宿なども変わらないけれど

圧倒的に繁華街、というイメージだ。



音楽を止めて一人で歩いていると

様々な音が聞こえてきて、

孤独感が増す。

でも嫌な孤独感ではなくて、

自分がそこに存在していないような

幽霊にでもなったようなそんな孤独感。


自分が自分から脱してすごく客観視して、

街を見ているようなそんな感覚が

割と好きだ。


今書いた文章を読み返すと

中二病をこじらせたような気持ちの悪い

文章だけれど、そんな非日常のような

感覚を味わうのも悪くない気がする。


私はここに存在していて、

それは紛れもない事実だけれど、

私を認識して、あわよくば認めてくれる

人がいなければ、

存在しているとは言えないように思う。


自分の価値は自分で作り出すものだと

思うけれど、同時に他者が認めてくれなければ

成立しない気もする。


他社評価は殆ど気にしない性分だけれども

それを念頭に置いておくのは

生きて行く上で大切なことだと、

思う。




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